『全身小説家』『ニッポン国VS泉南石綿村』などを手がけたドキュメンタリーの巨匠原一男が、6月7日(現地時間)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で上映された1987年公開のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』について語った。
ニューギニア戦線で起きた疑惑の真相を探るべく当時の上官を訪ね歩く姿を追った衝撃のドキュメンタリー。
1982年、兵庫県神戸市。
妻・シズミと二人でバッテリー商を営む奥崎謙三は、凄惨を極めたニューギニア戦の生き残りの数少ないひとり。
やがて、彼が所属した部隊で終戦後23日もたってから、“敵前逃亡”の罪で二人の兵士が射殺されたことを知った奥崎は、処刑した上官5人を訪ね歩き、当時の生々しい状況を聞き出していく。
記事引用元(全文はこちら)
ゆきゆきて、神軍(1987)
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=150194
ゆきゆきて、神軍 予告編
「肉はみんな今日は白か黒かゆうてみんな食べました」
「原住民は食わない。向こうの方がすばしっこくてこっちが負けちゃう」
「日本兵の中で憎まれてる人とか?」「大体迷惑かける人が多かった」
「殺して食いたいという人もいるけどかばう人もいた」
—–
奥崎「靖国神社に行って英霊が救われると思うのか、貴様!」
奥崎「なぜ、あなたの体験したことを語らないのか?
また再び同じことをさせないために、あなたは地獄を見てきたのだ」
奥崎「その地獄を語らなくて戦友の慰霊になるはずがない!
あなたは結局現在の家族や女房や子供、孫だとかのことだけを考えて言わないんだ!」
—–
奥崎の自伝も読んだけどこの人のニューギニア戦の記憶は驚くほど明瞭なんだよね
大卒で戦場行って帰ってきたからな淡々と聞かせてくれたよ
https://diamond.jp/articles/-/69077?page=4
産経WEBには、『「捕虜たちが焼かれたり、人体実験で殺され、(日本の)古来からの人食いの風習で生きたまま食われた」などと捏造(ねつぞう)されたストーリー』『そのまま映像化されてはたまったものではない』と記述されているが、日本兵の食人行為は決して捏造ではない。現実にあった。
1945年、小笠原諸島父島において日本の陸海軍高級幹部が、米軍航空部隊の搭乗員である捕虜八名を処刑して、そのうち五名の人肉を嗜食している。
大戦末期のニューギニアやビルマなど南方戦線では、飢餓状態に陥った兵士たちが、戦死した友軍や敵軍の将兵の人肉を食した事例があったことは、すでに数多くの証言や文献で明らかになっている。
小説や映画でもこのテーマは、大岡昇平の『野火』や武田泰淳の『ひかりごけ』、原一男の『ゆきゆきて、神軍』やこの夏に公開される塚本晋也の『野火』など、いくらでも挙げることができる。
でも父島のこの事件は、それらの事例とは背景がまったく違う。舞台となった父島では地上戦は展開されていないし、食糧事情も悪化していなかった。
少なくとも生きるか死ぬかの選択で起きた事件ではない。
陸海軍幹部が酒宴の場で、捕虜の肉を肴にしようと思いついて実践したのだ。
秦郁彦の『昭和史の謎を追う』にも、このとき捕虜となりかけたブッシュ(シニア)元大統領のエピソードにからめながら、この事件への言及がなされている。
戦後にBC級戦犯を裁いたグアム軍事法廷で、これに関与した海軍と陸軍の将校たちは事実をほぼ認め、捕虜を食した理由は戦意高揚のためと証言している。
将校たちは捕虜となった米兵を処刑して(この段階ですでに国際法違反だが)、肝臓などを摘出して酒の席で食べ、陸軍中将は「これは美味い。お代りだ」と喜んだという。
ただしグアム軍事法廷は、人肉食を直接断罪したわけではなく、あくまで捕虜殺害と死体損壊の容疑で審理を行っている。
彼らの大半がボケるか死んだかの時代になるとご覧の有様
ゆきゆきて神軍を見て
ドキュメントを極めようと思い
これが自分の中の
ナンバーワンドキュメント映画だと
公言している
映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』
マイケル・ムーア監督に突撃電話インタビュー
https://entertainmentstation.jp/33227
奥崎も乗せられたというか、演じることからの暴走はあったって後述してた覚えがある
あの時代のあの組み合わせがよかったんだろ
朝5時から延々と奥崎の電話聴いてたとかエピソード色々ひどすぎるけど結果的には原への信頼があったからあの映像撮れてたんだし
死んだから食ったってのが多そうだけど
みんな封印したがっていたが奥崎はタガの外れた本人なりの正義感でそれを社会に引き摺り出そうとした
そのタイミングで原が奥崎を見つけたっていう
結果として原が奥崎の信頼を勝ちとりたくさんの素材を撮れたがなんだかんだ没収されたりして色々萎えて公開
狂人がその狂気で最低の真実を明らかにしてしまうという皮肉
近代の軍隊じゃないよな
中世の軍隊だわ
補給を考えたら戦争が不可能になっちゃうからな。
「補給はどうしますか、このクソ貧乏国に何百万もの兵士を
外にばらまいて、しかもそいつらを食わせる輸送能力なんか
ありませんよ、わかってますよね?」
こう聞かれて
「わかってる。むろん、この糞貧乏国にそんなことは
できやしない。中止だ中止」
と答えたら話がそこでおわっちゃうから。
だから「糧を敵に因る」、孫子もそう言ってたし!
みたいにもう何でもいいからとにかく外に兵隊おくっちまえば
勝ちという理屈つくるためならどんな屁理屈でも援用したんだろ。
まあ本当に食べたんだろう
生き残りの元兵士が、人肉を食べたり物々交換していた事を証言してたね。
だからな。このネーミングはちょっと
若い頃、本当に戦場に行ってた世代が、
お爺さんではなく、それなりに頭のしっかりしたオッサンだったっていう時代は
俺からするととても新鮮に見える
実際に人を殺したことのある連中がいっぱいいた社会だからな
歴史改竄主義者が「愛国」名乗る亡国。
↓
ああ、なるほど。戦争でおかしくなったのね
↓
こいつもしかして最初から頭おかしい人なのでは?
草
でもこんな感じだったな
影響を及ぼすかは、経験ないし想像すらできない
飢餓で食われる方もガリガリにやせ細っていたからな
「自分の生き方を認められる内容の映画を希望したが、原監督は戦争被害の実情を報告するドキュメンタリー映画を作りたかったようだ。
そのため、私は被写体となることを二度三度やめようとしましたが、原監督の謙虚な態度と、真摯な情熱が、「負けるが勝ち」という結果をもたらしてくれた。
そして、奔馬の如き私は、老練な御者に操られるが如く、原監督の見事な手綱さばきによって、「ゆきゆきて神軍」という馬場を、思いのままに駆けめぐらせられる仕儀と、相成ったのであります」
答えあるやんけ
こういう迷信はわりと信じられていたのではないか
>明治3年(1870年)4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)
>陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている。
>しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている(東京日々新聞など)。
>作家の長谷川時雨は『旧聞日本橋』で明治中期の話として
>「肺病には死人の水-火葬した人の、骨壺の底にたまった水を飲ませるといいんだが…
>これは脳みその焼いたのだよ」と、「霊薬」の包みを見せられて真っ青になった体験を記している。
>明治35年に発生した臀肉事件は、当時は不治の病とされたハンセン病の治療目的で
>被害者の臀部の肉を材料としたスープが作られている。
>昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして
>肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして
>逮捕されていたことが新聞で報道されている。
まぁ大半のケースは飢えによるものだろうけど
人間ヤバくなったら人間ぐらい食っちゃうんだよ。アンデスの聖餐とかもあったし
栄養失調のところに一時手時にタンパク質が供給されるから肌艶が良くなるんだと
実はエコだった
とか時々議論に上がるような話題だけど
国民は
「(あゝ食っただろうなぁ・・)」
て思ってるよ
太平洋戦線 傷痕今も 「ビルマは地獄 死んでも帰れぬニューギニア」
https://www.nishinippon.co.jp/item/o/433434/
補給を軽視した無謀な作戦の結果、悲惨な撤退を強いられ、その退路が「白骨街道」と呼ばれたビルマ戦線。
ジャングルを行軍する兵士が、マラリアなどの病気や飢餓に倒れたニューギニアの戦い。
九州で編成された部隊も、そうした過酷な戦場に派遣され戦った。
引用元: ・2ちゃんねるsc
コメント