マキ(34歳)がユウジ(45歳)に出会ったのは21歳。
2人が生まれ育った宮崎市内の風俗街でだった。
マキは働いていた飲み屋で知り合ったパチンコ依存症の夫と別れたところ。
ユウジは日中ビルメンテナンスの会社を経営しながら、夜はデリヘル業(デリバリーヘルスという業種の風俗店)に携わっていた。
ユウジもこの時点でバツ2だった。
2人は結婚。
デリヘルやSM店経営の後、本業のビルメン経営の傍らで、一般社団法人「日本プレミアム能力開発協会」という団体を立ち上げ、その事業の一環で、2015年1月に「プレミアム親子食堂」を立ち上げる。
これが、宮崎県内のこども食堂の先駆けとなった。
風俗業の経営から、法人立ち上げを経て、こども食堂へ。
2人の軌跡はいかにもアヤシゲで、眉をひそめる人もいるかもしれない。
しかし、この2人のストーリーを、貧困の中で育った者たちが貧困の連鎖を断ち切ろうとしてきた苦闘のストーリーとして見ると、見える景色はまた変わってくる。
しばし2人のストーリーに耳を傾けてみたい。
記事・画像引用元(全文はこちら)
風俗からこども食堂へ 貧困の連鎖を断ち切ろうと苦闘する夫婦 宮崎・プレミアム親子食堂
2017/2/1
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20170201-00067139/
生い立ち(抜粋)
ユウジ
・9歳で親が離婚、借金を背負ってしまった母に引き取られる
・母は風俗で勤務するも2,3年で自分の店を持つ、店の一角で生活するユウジ
・自分の小遣いは自分で稼ぐように言われていたユウジは、小学5年から新聞配達を始めた
・中学時代はバイトをしながら学校には行かず、ただ生きること、友達を失わないことに必死になっていた。高校受験は考えなかった。周囲はみんなそうだった
・中学卒業後、母の紹介でマグロ漁船に乗る。今思えば「売られた」のだろう。
3年間で800万円ほど貯まったが、すべて母の借金返済に消える
成人までに1200万ほど母の借金返済にあてる
・船をやめて板前をやり、終了後は朝まで飲み屋で働く、仲間と飲み屋を開業、14店舗まで増やすもわけあってやめる
・30歳でビルメンテナンス会社を創業、経営が苦しいので夜はデリヘルを経営、そのころマキと出会う
マキ
・物心ついたとき母はいなかった
・パチンコ依存症の父に育てられ、借金取りに怯える幼少時代
・中学の時部活で使うスパイクが欲しくて父に土下座して買ってもらうようお願いしたが断られる、このころから家出が始まる
・中学を卒業しその頃付き合っていた彼氏の親類を頼って埼玉の川口の飲み屋で働く
・17の時父がうつ病になったため宮崎に戻り親類の飲み屋で働き19で結婚出産→離婚→風俗勤務中ユウジと知り合う
プレミアム親子食堂 HP
https://oyakosyokudo.jimdo.com/
子ども食堂主宰してるけど、ここまでやるのは凄い…https://t.co/LijqQZSUSo
— 夜の幕僚長・天志 (@admiral0319) 2018年10月10日
【風俗からこども食堂へ 貧困の連鎖を断ち切ろうと苦闘する夫婦 宮崎・プレミアム親子食堂(湯浅誠)】 https://t.co/3WZaoMoPoh 原動力となる、身近にある「期待」が何より重要で、それがあればどんな困難なことにも挑める。そう感じさせられた。
— e-saka YSK (@seigen_e) 2017年2月1日
これは必読。酷い環境から這い上がって来た人たちだからこそ、この社会に決定的に足りないものが何かを心得ている。尊い活動、尊敬しかない→
風俗からこども食堂へ 貧困の連鎖を断ち切ろうと苦闘する夫婦 宮崎・プレミアム親子食堂(湯浅誠) https://t.co/CJ27FuIjn9— 吉方べき(帰韓) (@tabisaki) 2017年2月1日
貧困の現場を生きてきた経験から確実に稼働するシステムを作っておられる。最初はすでに稼働している団体を支援するところから始めていることをとっても地に足が付いている。親の借金抱えてるところからこれだけ事業起こせる人は違うな…すごい。 https://t.co/lQeAa7UdLQ
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2017年3月28日
意味も解らず泣けてくるよ。
最高だね、
https://t.co/cEPJ1hB8s0— せとかくこ (@setokakuko) 2017年3月27日
どんな言葉も薄っぺらく感じてしまうような、それぞれの過酷な経験に基づいた活動。… https://t.co/5bDsOn8lUC
— Takeuchi Nobuhiko (@tnobu) 2017年3月28日
コメント